あの人はいい死に方をされた。あの人の死に方はよくない。というような言葉を今でもよく耳にします。死に方を問題にするものは、問題のしかたは違いましても、今も昔も変わらないようであります。親鸞聖人当時は、来迎があるかないかで、臨終が問題になっていました。 と喝破されています。すなわち、来迎があるとかないとかと、臨終を問題にする人は、自分のやったことだけを問題にし、評価して生きてきた人です。そのような自力の人にとって「死は自分が生涯かけてやってきた行為の総決算になりますから、どうしても死に方が問題になるのです」と、聖人はいわれるのです。考えてみますと、死ぬ時に一生の総決算をするというか、総評価をされるくらい、つらい、不安な生き方はありません。それでは死ぬが死ぬまで心のやすまる時がないのではないでしょうか。
[ 107] 法話1
[引用サイト] http://www.fuchu.or.jp/~sat/houwa1.htm
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